格式より心に沿った葬儀
新条麻美 兵庫県
私は現在神戸の西外れに住んで居る、北の辺りで見られる葬儀に、少し不満を覚える事がある。私の家の宗教と宗派が異るので、同じ宗派の人々には当たり前の事であるかも知れない。
先ず、葬儀の日、お坊さんが何人来られるかで、その家の葬儀の盛大さを決める風な話を良く耳にする。次にお坊さんの、着衣された色で、お坊さんの格が違い、「今日の葬儀には、偉い坊さんが何人居られた。」と言う声も聞く。それから、死者を寝かせる柩についても、様々な話を耳にする。木の材質により値段が違うと言う。それから、柩に彫られた彫刻の模様により値段が異ると言う。昔から代々栄えて居た家等、現在は、生活に困っていても、葬儀に参列する人々に格式の高い葬儀と思われ度くて、無理をして、彫刻の沢山に複雑に施された、上等の木材の柩をはり込むそうである。
現在では、此の辺りも火葬が行われて居る。ほんの二、三時間の葬儀の間だけの事である。何時間か後には、火葬場で荼毘にふされるのである。一瞬のうちに、立派な木材も、彫刻も燃えつきて、灰になるのである。地球全体が温暖化で苦しんでいる時、葬儀の時だけの見せかけの華美等必要で無いと思う。英国等の葬儀で見られる様な柩の上からベールでも被せたらと思うのだが。そして、火葬の際は、ベールを外し、柩だけ、荼毘にふし、ベールは、繰り返し、使う様にする。ビロード地等上等の布地に、金色の糸で織った房を周りに付ける等、工夫しだいで、柩の高級感が出せるのではないかと思う。
私の両親の葬儀は、田舎の自宅で簡素に行われたが、子供として、私は満足している。先づ死者のこよなく愛した、田舎の自宅で行われた事、お坊さんは近所の寺の御夫婦、二人だけ、それでも、此の寺は、父の育った家の隣りで、代々此の寺にお世話になり、父、母の事を良く理解していて下さった。戒名の説明をして下さった時も、お坊さんは、親しく、「おじちゃん、おばちゃん。」と呼んで下さった。血縁者にとって、悲しみに打ちひしがれてる時、お坊さんに親しく呼び掛けられる事は、大変な喜こびで、両親が、向こうの世界へ気持ち良く、旅立てた様で、嬉しかった。葬儀は、お坊さんの数や、柩の良し悪しで格式の高さが決まるのでなく、死者の心に沿うた形の物が一番だと思う。