素人が考える葬式  

佐藤浄沼 大分県 七十四歳

人間がこの世を去る時は戸籍上からも削除される。死亡証明によって火葬手続き、二十四時間経過後全てがこの世から人間としての地位肩書き、財産資格立場は消滅してしまう。故人の意志を除いては残された家族が葬儀内容を決め、一般的には葬儀社が取りしきる。会場、飾りつけ、付属経費が膨大になって問題点も浮き彫りされだした。
 公的な葬儀社などは幾つかの形式で価格も設定。そんな仕組みの中で地域公民館利用などで安価で厳かな葬儀もあるが、風習エゴ旧来の悪習打破など葬式仏教の改革が望まれてきた。
 僧侶に対する謝礼も葬儀と大きい関連、戒名法名の定価がつけられている。人間死去と共に名誉肩書き資格財産立場など、全てが消滅平等なのに、戒名法名をつける差別が生きている。戒名法名の字数で金額差があったり必要以上に謝礼を要求する暴利。仏道に反する邪道であり道を説く僧職にあるまじき行為。遺族として相応の謝礼の心づもりを逆なでしている。無理な要求は品のいい詐欺である。
 それでは採算が、生活の保証が、と言うだろう。ならば廃業転職すること。やがて宗教と葬儀とが連携した専門機関が生れ、死亡届け火葬許可と共に葬儀申込みも。会場は公民館に専門僧職が派遣して規定料金による葬儀がされる。専門僧職は会社員として最低生活の保障がされることになる。
 葬儀無用論、散骨などの風潮も出ている。時代の波は死者の霊供養は残された親族の意志によってされるべきで、弔うことが最善の方法、宗教のベルトにのせられる必要は皆無。これからの葬儀方法は核家族化した現在さらに改善され、宗教法人の悪名の下で遺族の悸さにつけ込む姑息さはつつしむべき。
 宗教と人間の心をしっかり結びつける信頼の回復こそ、宗教離れの現実の世界に生き残れる方法では。悪質宗教は淘汰されてゆくだろう。
 試案として葬儀の場合。祭壇飾りつけ十万円。僧侶謝礼十万円。その他付属雑費十万円が、理想的な相場価格に。遺族には少い分よいだろうが。人間この世を去った後は肩書き資格名誉財産はすべて削除され、生まれた時のように裸の平等である。神であり仏である。
 金額で差別するのは欲望に勲章を欲しがったり、無意味な叙勲を喜ぶ人間の無神経さの気掻せである。宗教関係者よ目ざめよ。世の中で人のサイフを狙う貧しい気持ちから脱皮しよう。それが明日の将来のしあわせに結びつくと思う。



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