生き方は亡くなった時に知る  大きい文字で見る

深田千里 岡山県 五十七歳

 私は、平成五年六月二十日、庭の紫陽花が、今年は大輪の花を咲せ、心穏ませてくれていました。息子(当時二十九才)を交通事故で亡くし、お嫁さんのお腹には、六ヶ月の二人目の身おもでした。悲しみも、夫婦、そして友人にささえられて生きておれるのです。元気が取り柄だっただけに信じられなく、今も、私の心の中に生きています。優しい子ほど、早く先立つものです。
 急な事で、葬儀も大変、田舎(鳥取県)にお墓があるし、現在は岡山県倉敷に住み、お寺は良寛さんで有名な(円通寺)です、主人の会社、息子の友人の関係上、葬儀はこちらでと、頭の中はパニック、「会社役員だから、祭壇は○○」ぐらいとすすめられるし、言われるままに、お寺さんは、戒名も高いのはビックリしましたが、短い命だけれどバッと咲いて散った、愛され、生花の中に、友人の輪の多い事をしらされ、生きている、生き方の大切さ、それに田舎の義母が、十一軒ほどの村で、又、お寺で葬儀をと、二ヶ所で六百万かかり、香典は二百万ありましたが、今思えば、お寺さんも、一週間に一度、五回来て下さいまして、車代、お布施一回五万円也、(立は)も一万円も五千円も、八千円の、きしみを返し、後できがつくと大変、けれど息子はきっぷが良く、「ケチケチするな」と言っているようで、ご仏前に手を合せて笑っている私です。
 今、一番きにいらないのは、お彼岸に、小坊さんが、家付きの方は我がままで、二〜三分おがんで、お布施をもって帰られます。福井県永平寺から修業にこられた若い方は、長くおがんで下さいます。
 なんでも、感謝の気持を忘れないで、「心」で生きる事の大切さ。
 今頃は、いいお坊さんが少なく、全部そうではいけない。人の話を聞き、子供の頃は(けいだい)で遊び、あま茶を飲み、いい話も聞いたものです。今思えば懐かしく、心がない方は、お布施も減らしたくなります。今は宗派は関係なく葬儀をして下さるお寺さんがあります。子供の頃から、お寺さんは大切にと育っているので、宗派は大切にと思っています。
 一、葬儀代は、家や門がまえで決めない。
 一、戒名が高い。
 一、車でこられるのに、おがむ時間が短い。
 息子は修業に出ていて、全国のお寺さんにお世話になっていると思い、京都いろんなお寺に出掛けております。
 人の輪の大切をおしえてくれた息子、優しく育てて良かったと思い(妹)も、お兄いちゃんの分親孝行すると、よくしてくれています。「心」で生きる大切さをいつも思っております。


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