戒名・僧りょのお礼に物申す
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菅谷隆行 北海道 六十六歳
私は、町内会の役員をしていて、葬儀のお手伝をするので、今の形式的な葬儀には、少からず疑問を抱いています。
高齢化社会と呼ばれる今、亡くなる人は、当然高齢の方々です。例えば八〇才の人が亡くなったとします。子供も大半が、リ・タイヤしており、働いている人達は、孫の時代に入っている場合が多いのです。
北海道の場合、互助会的な性質が多く、香典には半返しとか、八割返しとかの、おかえしがなく、ノリ、テレホンカード等で、精々五〇〇円程度のお返しで済んでいます。それでも、場所代、祭壇等の費用を含めると大巾な赤字を生んでいます。お参りする人の少さが、香典額の減少につながり、戒名や、僧りょのお礼が、葬儀費用の中で、大きく占めるのです。この性質上、「値切る」と云うことにはなじめず、僧りょ側の要求をそのまま支払うことになっています。
且つ、めんどうなのか、告別式には、「弔電を僧りょの退去をしてからにしてほしい」、と云い出す仕末です。
戒名も、位の高いのはそれなりに高額となります。遺族にその旨を伝えると、大半は、中=Aややもすると、居士、大姉のついた高額のものにしたいのは、亡くなった方々に対する人情でしょう。読経する人員も、一人より二人三人と、どうしますか、という問いには、多い方がありがたいような気がするものです。そこで提案をしたいのですが、
一、 戒名の上、中、下はおかしい。
二、 僧りょの謝礼は、ガラス張にする。
(領収証を発行させる等)
三、 読経は、原則一人とする。
私は今このままで進むと、葬儀という形式そのもが、無くなると考えています。あんな立派な祭壇は唯のためでしょうか、葬儀の儀式は果して、必要でしょうか、仏教界ではどのように考えおられるのでしょうか。男性が早く亡くなる場合が多く、独り暮しになる老人の女性が多い時に、費用の負担が少くて、実のある葬儀形式が考える時代に来ました。
私共が子供の頃祖母の葬儀は、我家で行いました。生前関与した親しい人々が、参集してくれました。おもてなしも、隣近所の人々が手助けをしてにしめ≠作ってくれました。生前の在りし日をしのび、しみじみとしたものでした。香典を費用に充てても、十分のおつりが来ました。それでも亡くなった祖母も、きっと満足だった、今のようにする費用がなかったのも理由ですが、素朴な、原点に還った葬儀が望まれているのです。