僧侶は生きている人々に真理を 大きい文字で見る
峰 栄三郎 北海道
僧侶は善良な檀信徒を騙すのはもう止めて欲しい。善良な檀信徒は、僧侶の読経によって死者が成仏するもの、極楽に往くものと思い込んでいる。お通夜の席でも、僧侶がお経の功徳で死者が極楽に往くと話をしていた。釈迦は死者を成仏させることなど一言も話をしていない。釈迦が話をしたのは、この世の真理を説いたもので、あの世の事は一言も語っていない。だからお経にも書かれていない。そのお経を人が死んだ時に読んで金儲けするとは卑怯だ。生きている人間に書かれたお経を読んで死者が救われる筈がない。もっとひどいのは動物が死んでもお経を読んでいる。針供養、人形供養にもお経を読んでいる、金にさえなれば何んでもやる、これが今日の日本の僧侶の姿だ。
日本の国で誰が卑怯だと言っても僧侶ほど卑怯者はいない。人が悲しんでうちひしがれている時に何の役にもたたないものを読んで金儲けをするのだからこれ程卑怯なことはない。大般涅槃経に僧は葬式をしてはいけないと書いてある。また釈尊を始め各宗派の開祖も葬式・法事をされた方は一人も居りません。戒名・法名も日本独自のもので僧侶の金儲けに過ぎない。まして死者に戒名・法名を授けるのは言語道断である。僧侶の仕事は死者を相手にするのではなく、いま生きている人々に真理を教え安心を与え世相を建て直す事ではないのか。
いじめが蔓延し学級崩壊が叫ばれている今日、何をぼやぼや死人にかまけている時ではないのではないか。世の中を建て直し人々を安心させるのが僧侶の務めではないのか。日本の全僧侶が一丸となって世直しに立上れば世の中は必ず良くなる。どうか死者を相手に金儲けするのを止めて人々に安心立命を与えて欲しい 僧侶が立ち上れば他の人々も立ち上るに違いないそれを期待している。若し僧侶の読経で死者が成仏するものなら宗教は成り立たない。宗教は信仰によって成り立っている。僧侶の読経で死者が成仏するものなら呪術である。僧侶は徳川幕府に魂を売って地位と財産を手に入れた。魂を売った僧侶は説法など忘れて葬式・法事に明け暮れている。松原日出治住職は坊主を殺せ、寺を焼けと警告している。一日も早くこの心に気付いて世の人々の役に立つ事に精を出して欲しい。人の心を耕して花を咲かせ実らせるのが僧侶の務めであろう。早く自覚して欲しい それを祈るばかりである。