仏式葬儀についての希望 

萩原儀久 長野県 六十七歳

 作家の佐藤愛子さんは、朝日紙の「こころ」欄で本当に日本人は変わったな、と実感しますよ。感性・感受性の質が変わったというか、磨滅しつつあるというか。とにかく、他人のことは考えない。人間が機械みたいになっているんじゃないかって思います。≠ニ言い、がん患者に対する心ない言動を注意されてもそうです
か≠ニ心の動きの何もないような看護婦を例に上げて、今は至るところでこういうふうです。腹が立っても、前みたいに怒れない。湿気た梅雨時の花火のように年輩者は皆ボソボソ怒っています。≠ニ。(12/8付)
 私はこうなってしまった原因の第一は、やはり軍国主義一辺倒に陥ってしまった戦争の後遺症と、敗戦による虚脱、反動が、宗教的情操や醇風美俗まで根こそぎ痛め去ってしまったこと。第二に、経済優先の実利主義が、家庭、学校、地域の生活を侵略して、人間的なうるおいを奪い去った結果であると思う。
 青梅慶友病院の大塚院長は、「高齢者の扱い・日欧の違い」として、ヨーロッパの高齢者施設では、医師は脇役で、終りが近くなると神父や牧師の活躍が一段と目立つようだ。≠ニ指摘されている。
 私の田舎は浄土宗で、私の十歳前後に祖父母が家で療養し、葬儀を出すのに親しく接することができた。村医者と親族の温かい看護、それにつづく美しい夕日が夕焼空に自然に没していくような臨終と葬儀の情景が印象的に焼きついている。
 そこで、21世紀にリニューアルされて息づく伝統的な仏教の姿についての希望、提言をしてみたい。
 第一に、秀れた伝統的仏教者の魂を入れた日常活動の積み上げである。地域社会に開かれた寺院運営の展開によって、幼児・青少年から高齢者に至るまで滲透する仏教行事、修養の機会の拡大・深化である。
 第二に、国際的な世界宗教者会議や国連等における活躍である。幸い、こうした広い場において、独善的、絶対主義的な教義でなく、寛容を宗とし隔通性に富んだ仏教者の調整的、指導的役割は大変に大きい力をもつであろう。
 第三に、お経を漢語訳のいかめしいものから、平明で親しみ深く美しいリズム感を生かした口語訳にすることである。葬儀において厳粛な僧侶による原典的な読経は勿論あってよい。それと供に、より多く会葬者の胸に等しく分かり易い口語調のお経があり、ご和讃等と共に一同が合唱できるようにしたい。
 第四に、「少欲知足」の教えに立つ仏教の葬儀は、なるべく華美になり過ぎぬよう、戒名料、精進落し等も含めて配慮したい。
 第五に、仏恩の対象を人間のみならず地上の生きとし生けるものに及ぼして考えている仏教者の立場から、美しい自然の破壊、環境汚染の現代最大の課題に対しては、敢然として先頭にたって啓蒙と真摯な実践に取り組みたい。



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