仏式葬儀への五つの提言
藤中 豊 兵庫県 七十歳
一、死後の階位について
人はみな仏になると平等の身分となって釈尊のもとに招かれていくのではなかろうか。この世の生活で醜い生存競争をくり返し、経済的にまた身分的に他より優位に立とうと競っている。だのに死後の霊界にまでこの世の延長であるかのような階位をつけるのはどうかと思う。階位によってその経済力や自分の地位を誇示するのはこの世だけで十分ではないか。階位によって信徒が競うことを容認し、その収入によって寺院を守り維持していこうとすると、一部の人の欲望は満足させることができても、一般信徒や低所得者層の宗教離れに拍車をかける結果となる。
そして、寺院や僧侶を葬式の道具視して、生活習慣としての信仰へと低落させているのが現状ではなかろうか。
故に、ある宗教の如く改名に階位をつけずに、みな平等の仏として葬っているところに好感がもたれて信者が増えていると聞く。また民衆の心から離れていく寺院や僧侶の姿に嫌気して、僧を排して友人や知人による「友人葬」が今の世代に合致した葬儀のあり方として、世人の賛同を得ているのは当然のことで、信仰は形式ではなくお互いの心のうちにあるのだとの自覚を如実に物語っているのである。
二、葬式の式場設定について
仏式の葬儀の式場は一考を要することが多い。通常、生活の場所(自宅)を葬儀場として祭壇を組み、参列者を迎えることは狭い住居の中では片付けも大変で、路地裏にある住居などでは交通の妨げともなりかねない。そして費用もかなりかかるのである。
したがって、最近寺院が信徒の葬儀場として開放され、使用されるようになってきているのはすばらしいことである。すべての寺院がすすんで葬儀場として開放してゆく理解が望ましいのである。そうしてこそ信徒のための寺院、自分の菩提寺の意義があり、お参りする回数が重なることによってその信仰心も高揚していくのである。
三、通夜について
葬式の通夜は故の生家、住居の地で行なわれるが、この世の最後の旅立ちの場所であり、別れのところなので、ここに親族や縁者が集い弔い別れを惜しむのはもっともである。
四、葬式に伴なう飲食の場について
これは地域社会の公会堂の中など公の場所がよい。日頃から使用し活用しているところが最適である。親近感もあり、使用方法なども心得ていて便利で、みんなのためのみんなの施設の感があって、ここにこそ、共同、協力、郷土愛の精神が培われていくのではないだろうか。
五、時代の推移とともに
社会は発展してゆく。生活様式は変化し人々のものの見方考え方も変わってゆく…対応を。
曹洞宗の一信徒として客観的に仏教を把握して提言したものであって、現にわが家が所属している宗派、寺院に何の不満、不服もないものであることをおことわりしておきます。