宗教は「心の安らぎ」のため
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匿名希望 兵庫県 五十六歳
田舎町の農村の真言宗です。私達の寺院は代々この寺の僧侶とされていて、現在の住職は父僧の急死により住職になっておられますが、修業を半ばに耐え切れなく戻っており、道で逢っても挨拶もなく会釈さえされません。自治会にも参加しません。
私共、三年前に父の死により仏教に対し思う事がありました。死亡の為、お願いに行くと料金表を頂きます。式名別に諸々の料金が決められ、これは最低料金でこれ以上との事でした。
一、戒名料の高額にびっくり
俗名をつけるのに費用はかからないのに、高額さえ出せば俗に言われる良い戒名が頂ける。これはおかしい、同一の料金で良い戒名がつけられてこそ生前の善行が認められた言えましょう。戒名があっても俗名で呼ばれるのだから高額な戒名は不必要とさえ思える、院号は昔殿様が位の高い僧侶しかつけられなかったと言われるのに今は一般化している数十万円もする戒名は私個人はいらない、俗名のままで良いと思っています。
二、元来、宗教は「心のやすらぎ」の為にと目的があるものと思っておりますが 私共の寺の住職は仏教における心の栄養となる説法等全々無く、法事の時には「今日は」と来て小さい声でお経と「それでは」とだけ言って帰って行かれます。まるで「お経やさん」です。親戚の法事に参加しますと故人の思い出話や心が洗われる、あたたかい話や説法がありお参りして良かったと思うのですが……。私共の法事は心さみしくはずかしくさえあります。
三、寺は檀家が集まって運営されていると思っています。その為次々と改修とか新設とか物を買い替えるとか言って寄付を要求しますが、お布施とか諸々の経済は暗黙です。年々の収支は皆に知らせるべきです。住職着用の僧衣も寄付だと聞いています。兼業の公務員が重荷で自殺未遂する様な人が住職として務められる様な僧侶とは価値の無いものでしょうか。僧侶とは人々の上にたち布教に務め心のやすらぎを与える為にがんばってくれる方だと思います。きびしい言葉かと思いますが、仏教は日本の宗教となっていて、その上に安穏と乗っかって居はしないですか。
○人々が仏教にほこりを持ってお教えに忠実にあるでしょうか。もし経済的にきびしければ歴史のある寺でしょうが合併等して数を少なくして適性な方が住職をして檀家の負担を少なくして行けませんか。只、自分の生活を守る手段の僧侶なんか必要ありません。
○儀式の時だけの仏教ではなさけないではありませんか。
○儀式だったら無宗教で出来ますものね。