葬儀の目的は何なのか  

長坂隆雄 千葉県 六十八歳

 宗教の目的は死後の世界が対象ではなく、苦悩多い現在の世をいかに心安らかに平穏に過ごすかの指針を与える事にあると思う。
 難解な古色蒼然とした教典にこだわって、死後極楽の世界に導くのが仏教の目的とは思えない。寺院と僧侶の任務は従って、門徒の人々が苦しみ多く、悩み多い現世にあって、安穏な心で平和な日々を送れる様に助言し、導く事こそ最大の責務ではないだろうか。
 併し、現実には戒名を与え、葬儀を行い、墓地を造成し販売する。そこには根拠のない多額の金銭が動く。言わば営利事業家とさえ思える様な寺院と僧侶が余りにも多いのではないだろうか。
 仏教には様々な宗派があるが、元を辿れば、釈迦の教えより派生したものであろう。色々な釈迦に関する書物を見ても、死後の世界についての記述を目にする事はない。仏教は本来、死を語らなかったのではないだろうか。
 各地に仏舎利塔が建設されている。併しながら、仏舎利塔は釈迦を畏敬する信者の心のより所として建設されたものであり、霊魂の存在を信じて建設されたものとは思えない。
 我国の葬儀を見る場合、その目的は何なのかが実に曖昧に思えてならない。まして生前より墓地の所得に真剣になる人々の真意が理解できない。死後遺骨を墓石の中に葬られるようになったのは、何時頃からであろうか。江戸時代に幕府が檀家制度を採用するようになってからであろうか。檀家制度が僧侶の生活を安定向上させ、その地位が次第に強固なものとなった。
 地位の向上と生活の安定は僧侶の堕落をもたらす。自信教人信の原点を忘れ、営利目的の発想に陥って来たのが現在の多くの僧侶の実態ではなかろうか。
 一体墓は誰の為のものなのか、死後の自分の住む場所として生前より購入する人が多いのであろうか。私には真意が分からない。強いて意義を見いだすとすれば、残された家族にとっての死者との対話の場としての存在価値があるくらいなものであろう。もし、霊魂が存在するにしても、私はあのような暗い暗黒の地下に住むなんて真っ平だと思う。
 今後ますます子供の数も減り、加えて転勤が日常化し、年に一、二度の墓参といえども困難になってくるだろう。その事は次第に無縁仏が増え、放置され廃墟と化した墓地が急激に拡大し、社会問題化するのも遠い将来ではないだろう。各寺院が納骨堂を建立して、環境破壊に連なるような、限られた土地に個人が墓地を持つ愚を避けるように教宣する事こそ必要なのではないだろうか。
 現実離れした、難しい古色蒼然とした教典をいつまでも盲信する姿勢から、釈迦本来の仏教へ回帰への努力こそ、僧侶にとって最も必要なのではないだろうか。



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