戒名料について  大きい文字で見る

小田 勇 福岡県 六十六歳

 戒名とは、本来仏弟子になった時に授けられる名前であり、従って生前仏教に帰依した時に授かるのが法名だと思います。それが何時の頃からか葬儀の時に僧が金を貰って死者に授けるのが法名だと思われています。私の父の葬儀の際、僧侶への御礼をいくらにすれば良いのか葬儀社に相談して分相応の額を決めました 当時、私は政令指定市の部長職で弟は地元地銀の支店長であり会葬者も多く、世間的にも恥ずかしくない葬儀をと心掛けました。父の戒名は、釈宝寿の三字でした。
 我が家は代々真宗であり、寺も数十年来、同じ寺であり母の喉仏は、京都の大谷本山に祀ています。その頃、私は戒名には興味も関心もなかったのですが、父の初盆の時に私の上司が父の戒名を見て、三字の戒名は始めて見るが宗派は何かと聞かれたので母の戒名を念のため見ますと七字でした。それ以来、戒名が気になり昔の部下の葬儀の際、戒名が同じ真宗でありながら院号つきの七字であり、当時、寺に非常に不信感を抱くと共に、私の見栄かも知れませんが父の葬儀の会葬者に対して恥ずかしい思いが致しました。
 その後、お寺の改修寄付金を持参した際に直接住職に戒名をつける基準を聞いたところ住職いわく、真宗の戒名は通常三字であり、特例として社会と寺への貢献度の高かった人に院号を授けるとの事でした。元部下や知人の例を引いて聞き糺しますと、院号が欲しい場合は寺に四十万円出せば良いとのことでした。私より年もはるかに若く又社会的な経験にも乏しい住職が、何を基準に貢献度を判断するのか解せません。所詮葬式仏教ならば、何故喪主に院号は幾らですと事前に言わないのか? 仏の道を教える僧侶が、礼金の額で仏を差別するのが果たして宗教と言えるのか疑問です。
 宗教家として僧侶のあるべき姿について。 
 人の魂を救う努力をするのが僧と思いますが困った時や悩んでいる時に、僧侶に相談する人が果たして何人いるでしょうか。
 私が現役の管理職時代、多くの問題で悩み苦しんでいた時に門を叩いたのは、念仏を唱えれば救われると言う他力本願の先祖代々の寺(真宗)ではなく、自力本願を旨とする禅寺でした。毎週土曜日の夜、同僚と一緒に本堂で座禅を組み住職から仏典の講義を聴いたものです。それで少なくとも生き抜く力、頑張り抜く力を得たと思います。真宗に限りませんが僧侶は総て宗教家としての原点に立ち返って欲しいと思います。


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