お寺を楽園に  大きい文字で見る

伊藤行子(60) 愛知県

 幼稚園を経営しているお寺もあるけれど、ほとんどのお寺は、葬式、法事、お盆、彼岸に行く処である。お寺は気軽に行かれて、老人子供の憩いの場であって欲しい。いつも和尚さんが居て、一緒に遊んだり、悩みを聞いてもらったり、楽しいお話が聞かれたら、すばらしい。
 子供の頃、お施餓鬼の時、和尚さんから、「くもの糸」のお話を聞いて、感銘した事が今でも忘れられない。
 自分さえ良ければという考えを持たない様にするには、小さい時から、与える喜びを教える必要がある。
 一才ぐらいの子供でも与える喜びを知っている。持っているお菓子を、「一つ欲しいな」と言うと、分けてくれる。「ありがとう」とにっこり笑ってやると、すごく嬉しい顔をする。
 援助交際そして、ブランド品で身を飾る少女の多い世の中は悲しい。
 小さい者、弱い者をいじめたり、殺したりと暗いニュースの多い世の中もなげかわしい。
 心の教育は親が、先生がするのは当然の事であるが、お寺でも道徳教育を遊び乍ら教えて頂けたならと思います。
 老人になっても死への不安を持っている人が多い。わかりやすく説法して頂けたなら、やがて訪れる死を、やすらかな気持で迎えられることと思う。
 小さい時から、手を合せ祈る気持を教えたい。十句観音経は短いので、子供にだって覚えられる。困った時などすぐそれをとなえたり出来る様にしておくのです。
 むずかしい事はわかりませんが、私は心経をとなえたり、子供の成長期に、写経して、願い事をしたりして来ました。
 母の最期も心経をとなえてやりました。思いなしか、おだやかな顔になりました。
 檀家制度は、これからの時代はむずかしい。少子化で檀家を守り続けられないでしょう。
 お寺に誰でも、自由に行かれる様にして、写経をしたり、寄附を募ればいいと思う。寄附は、一円からなら、いくらでも可能として、子供も大人もお布施を出せばいいのです。
 葬式のお経料も今は、お金持も貧乏人も同額になっているのはおかしい。
 死はだれにでも平等に訪れるのに、お金が無かったら葬式も出来ない。
 結婚式は、貧しければ行なわないで済む。しかし、葬式を行なわれずにいられない。各家庭に合った費用が選べる様に、段階をつけて欲しい。
 私共では、お寺の建て替えの時、寄附がきましたが、お寺より決められていました。
 苦しい思いをして出しましたが、寄附とは本来、後で困らない様な金額を各自が決めて出すものと思う。
 21世紀の仏教はお寺を解[開]放して、老人子供が共に遊べる楽園になる事が望ましい。

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