今生きている人のためのお寺  大きい文字で見る

丸山千代子(52) 愛知県

 故郷若狭はお寺の多い町です。雪の中を托鉢に歩くお坊さんのはちに、小銭を入れるのが楽しみだった思い出もあります。親は時々寺の行事に出かけたりしていました。でも、私にとってはそれ程身近なものではありませんでした。「死んだ人の為にあるものだ」と感じていました。ところが結婚・出産と年を重ねていくと、どんどん寺に対して疑問が膨らんできました。長男が昨春結婚する時、人ごとではなくなりました。仏壇もお墓もある一人娘さんとのご縁だったのです。
 幸い私どもにはまだ仏壇もお墓もありませんが、型通りに考えれば長男夫婦は大変です。「何でお寺やお墓の事で、今生きている人間が困らなければならないの? 仏教って何?」と、以前からの疑問が頂点に達しました。
 「今、生きている人間の幸せを第一に」と自分で決めた時、すっきりとしました。主人とはまだ一致する所までいきませんが、私は生きている人を困らせる様な先祖にはなりたくないと思っています。親である私を忘れてくれていいと考えています。精一杯この世を生きる事……他に大切な事って何でしょう。それからは、仏教やお寺などについての本を色々と読んでみました。そして、本当に本当にびっくりしました。本来の仏教とは生きている人の為にあり、先祖供養や葬儀とは直接つながるものではなかった事を知ったのです。又、お寺のあり方に疑問を持って寺を飛び出した僧侶もあった事を知り、何だか気が楽になりました。そして、仏教のすばらしさも少しは知りました。
 もし、本来の仏教が正しい形で広められていたなら、どれだけ多くの人が救われた事でしょう。と同時に、檀家制度で苦しんでいた先祖への思いで胸がつまります。
 一つ間違えば宗教は怖いものです。いつの間にかお寺を無条件で信じ、葬式やお墓や仏壇のあり方も黙って受け入れなければいけないものだと思い込んでしまうのですから。
 「この今をどう生きたらいいかを問うのが仏教の本命」であり、今をどう生きるのか迷っている人々が気軽に行ける所がお寺。そんな風であったらいいですね。
 「心の時代」と言われる現代に、いっぱいあるお寺が本来の仏教を正しく伝える役目を果たしたら、日本はすばらしい国になるかもしれないと思います。檀家制度を根本から考え直す時ではないでしょうか。
 幼い頃から「ご先祖さまは大切にしなければ罰が当る」とよく言われましたが、私はこの言葉には少し抵抗を感じます。
 「ご先祖さまも大切かもしれません。でも何より今生きている人を大切に」「ご先祖さまという言葉でこの世の人を不幸にだけはしないで下さい」と申し上げたいのです。


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