お寺を仏教の教えと触れ合う場に
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岩間公司(64) 神奈川県
近くて遠いところ、現在私にとっては春、秋、の彼岸、法事にお墓の掃除やお花を先祖に供えに行くか、葬式以外あまり行くことがありません。これは寂しい限りでです。この機会をおかりして私自身の考えかたを述べさせてもらいたいと思います。
私ばかりでないと思いますが、現在のお寺は仏教の精神的な支えを感じることが無いため先ずお寺自身が仏教の教えに対して何か人の心を引き付けることを行なってもらいたいものです。有名なお寺に参拝に行っても、建物が立派だ、花が美しい、庭園がよいとか、視覚に人るものばかりで、本来の仏教の教えに踏み込んだ事柄が感じられません。このことは私達もこれらについてお話を聞こうとしない事にも問題があると思いますが、少々仏教に対して興昧があっても、聞きようにも僧侶が居なくては聴き用もなく、ただ観光会社のガイドさんが[から]お寺の由来などの話を聞くばかりです。また閉鎖的な所・封建的な所これが私達のお寺との距離が離れる一つの要因であるのではないでしょうか?お寺に参拝しても拝観料ばかり取り僧侶の説明もなく、観光化され心の問題に触れていない。将来これが私どもをふくめて、今日の若者達が偏差値ばかり気にした詰込み教育で、情操教育がなされていないため精神的な面が欠如して、仏教から遠[ざ]かり、怪しげな宗教に入信する、しかも高学歴者、が入信し高額な金額を何のためらいもなく布施し、信者を増している事は私には考えられません。
これはお寺に何の魅力も感じられないからでしょう。もっと心の問題に重点置き、悩み苦しんでいる者を救う、本来の仏教の教えが不足しているのではないでしょうか。お経の一部でもよいから心の糧となる事を僧侶がアドバイスする必要があり、そのことで心が癒されれば、また拝観に来ると思います。そうすればお布施も自然と入り一番簡単な拝観料等とらずにお寺を維持していけるのではないでしょうか? それには先ず僧侶が一般の参拝客と積極的に合い肌と肌とふれあい、またそのような場所・空間を設けて、仏教の教えを解りやすく説法しお寺は葬式の場だけではなく、一般庶民の悩み、苦しみの解決の場であり、尚崇高な教えの場であることをアピールすることだと思います。私達の年代ではある程度、お寺に興昧がありますが、次世代の人には今日の状態であれば興昧がなくお寺と檀家との関係は切れてしまうのではないか心配です。