私にとってのお寺の見方と考え方  大きい文字で見る

玉井義三 福井県

 二十一世紀のお寺は葬儀屋でなく信仰で結ばれたい。古はお寺の住職は大抵博学知識豊富で教養の高い修業を積んだ住職が多く、檀家で困ったことや解らないことはすぐお寺へ行って相談して生活してきた。檀家の地域社会との結びつきが必要である。児童福祉のため季節保育所を広い境内を提供して地域の児童を集めたり、子供を中心にして地域とのつながりをもつことが大切である。子供につれて必ず親がお寺へ出入りして、地域との絆が強くなる。地域へのお寺の活動によって地域との強い絆ができ、信仰につながるお寺の大きな屋台が壇中のお荷物にならないよう、寺自身が質素倹約のくらしをしなければならない。
 お寺で一番私の嫌なのはお寺が檀家から寄附を募ると必づ納入した金額と名前を大書した寄附額札をかけることである。貧乏人の貧者の一燈は恥ずかしくて心の寄附ができない。信仰で結び合った世界は、物でなくて心でなければならない。お寺の経済はお寺で質素にして壇[檀]中に迷惑をかけてはならないのが原則である。田舎ではお寺には私達の祖先が眠る場所として信仰があついお寺は甘えてはならない。独立採算でお寺の私的な経済を壇中に背負わせてはならない。お寺と壇中は金で結ばれづ心の信仰で結びついていなければならない。
 田舎では古い因習が残っている。先づおいしいものは、珍しいものは、祖先が眠るお寺へ持っていく。その心にお寺が甘えてはならない。感謝の念で壇中の心を汲み取らなければならない。二十一世紀のお寺は施設として納骨堂が必要である。土葬から専門家の火葬へ転向が増して葬儀屋が商売として一切を負合うため火葬が多く、納骨堂がお寺には必要になってくる。
 古はお寺の維持管理すべてが壇中負担であった。一般壇中の庶民のくらしと同じようにはいかない。質素なくらしを要求される。修業を積まれたお寺の住職としてのお寺の行き方が必要となってくる。地域へのお寺の進出浄化活動が壇中とお寺との強い絆をつくり上げることになる。お寺は昔のように一段と高い所から一般社会を眺めるのではなくて下ってきて一般庶民のくらしの中での信仰活動や社会浄化活動が望まれる。一般的くらしの中で信仰は芽生え、合掌する姿勢と心が育っていくものであると思う。
 私の町では、共同墓地建設がはじまっている。墓地と云えば薄暗くて恐ろしい場所であったが、祖先の眠る大切な墓場をもっと明るく美しい花だんもつくって美しい場所にしようと共同墓地公園が盛んである。お盆には競争するように美しい花でかざられる。墓地になる無縁のお墓は集めて正面の一段高い所に場所を設定して大切にする。旧墓地が死人が増えて、せまくなったのを機に私の生まれ育った集落にも新しい共同墓地が建立した。お墓は大切なので私も七十才を超えているのでせめて自分の墓位は私の気に入った方法でと思い、墓相をみてもらい設計してもよかったがお金がかかるので、親の墓は子供がつくるのが正直と聞いているので、子供達に墓は委せることにしたが毎年墓を建てていると敷地も金もかかるので、出来れば祖先代々の墓で一度建てたら私の一族はみんなこのお墓の中で眠るようにしたいと今思っている。墓地公園は、お墓を大切にみんな競争のようにして祖先のお墓に花を捧げ、お盆は本当に美しい暗い墓地が、新規一転した明るい美しい場所に公園のお墓の中で祖先が眠っている。とても墓地公園建設は良いことだと思っている。


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