真理を見せてくれた仏典
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結城 潮(74) 新潟県
旧制中学四年生十七歳。人並みに初恋も失恋もした私は、歎異抄(岩波文庫、昭十五年版二十銭)を懐にして武蔵野を彷[徨]った。しかし若者に他力は馴染まず、正法眼蔵随聞記で己に克とうと力んでみた。以来、戦災・疎開・就職等の実生活が続くが仏教への関心は消えなかった。私の仏教は宗教というより哲学である。仏典が人の生存や死についての根源を説くからだが、やがて観念的理解から信仰へ移る日が来るのだろうか。ところで現代の僧侶は、真理を説く仏教を葬式・法事の次元にまで堕落させてしまったのである。
僧侶の生計は檀家制で支えられているが、これは徳川幕府の反キリシタン政策で始まった。寺は善良な民衆を半強制的に仏徒にし「宗旨人別帖」に名を載せて藩に報告した。そのうえ寺の修理や葬式・法事にまで僧侶の指図に従わせ、信仰とは無縁の仏教が封建的檀家制で維持され今日に至ったのである。
僧侶は戒名・法名まで財源の対象にしている。仏弟子になり法に従い戒律を守る証しとしての戒名を、商品化した金次第の差別戒名にしてしまった。キリスト教徒は洗礼を受け無差別のクリスチャンネームを生存中につけるが、仏教は懺悔も遵法も不可能な死後になって形骸化した戒名・法名をつけている。
葬式儀礼に至っては噴飯物だと断じたい。僧侶の振舞いは実証性のない意味不明の動作の繰り返しで、特に読経は人の生き方を説く経典を、布施が重ければ一時間半も死者に向かって唱えている。読経に満足しているのは布施が入る僧侶だけで、参会者は我慢して黙りこみ迷惑千万である。粉飾された祭壇、広告性を帯びた花輪、金ピカであくどい霊柩車どれをとっても死者や遺族の哀しみを癒すより経費に心を痛める葬儀である。
定年退職して七十四歳。在職中には見えなかった真理・真実が見えてきたのは仏典のお陰と嬉しく思っている。四年前に母が逝去したが僧侶は招かなかった。檀那寺の住職が書くのも憚るほどの破戒僧なのが原因の一つだが仏教の本質からいって、葬儀に僧侶は不可欠だとは信じないし、特に仏教儀式が偽式・欺式に堕落したことへの抵抗からでもある。母の戒名は私がこしらえた。既に他界した父の戒名に相応させて「東林院慈泉忍代大姉」とした。東林は東京生まれの母。慈は慈愛そのものの母。泉は早逝した長男の名。忍は明治生まれで忍耐強かった母。代は母の名の三代からとった。母を最も知っている私がこしらえたものは、概念的にしか分らぬ僧侶より確かなものが出来たと信じている。
ところで私の葬儀であるが、僧侶も戒名も不要。祭壇は千利久[休]の侘び茶ふうに一輪の花こそふさわしい。遺体は、造物主が人体をいかに精密に造ったかを医学生に解剖してもらうべく既に献体手続きは完了した。深慮な哲学に根ざした仏典の探究と、信と証とを求める修行を怠る寺や僧侶は、二十一世紀の知性には耐えられないと、遺体から云い続けたい。