寺と檀家の繋がりを改めよ  大きい文字で見る

古市義照 香川県

 私は昭和十九年、耐乏と厳しい生活状態の戦中、十四歳で母と死別した。我家は浄土真宗本願寺派の門徒で檀那寺は「福住寺」という。
 四十一歳で逝った母は、なぜか信仰心の厚い人で私は幼児期からよくお寺詣りに同道した記憶があり、夜の仏壇前でも母の横に侍っていたせいか「正信偈」は小学生の頃から意味不明ながら空んじていた。お寺は家から三百米ほどの所にあり子供達の遊び場でもあった。そして近隣はみな同じ門徒なので、俗に「ご同行」と称する組織は日常生活に根ざしており、ときどき家回りで行はれる「ごしょくさん」という「お座」は老若男女の交流の場。当然子供達も一緒に夜遅くまでふざけ遊ぶ。そんな田園の風物詩があった。こんな体験者であるが故にか、今の檀那寺対檀家状況は不満でならない。
 寺の鐘が鳴り響いて、本堂に青い幔幕が張られるお寺の行事。春秋の永代経、夏まいり報恩講、世代交代を繰り返しながらもお寺の庫裏では近隣の人達(必ずしも門徒でない)が集ってそば≠竍うどん%凾ィ斎接待の準備が賑やかに行はれている。
 しかし、本堂内ではお詣りする人達は極端に減少し、老婆達(男性は極端に少い)二、三十名がかろうじて体裁を保って住職の法話を約一時間程度聞いている状態である。

 敗戦、混乱期から安定期、高度経済成長期から現状の不況は、私自身の少年期、青年期、成人、熟年友人と変化を同じくする。
 高度経済成長期を境に、寺と庶民、檀家と檀那寺の関係は昔日の面影も残さずに崩れ去ってしまったように思はれてならない。
 世は高齢化時代、暇な老人が多く時間はあり余っている筈だが、それを表面的短絡的な物質文化にのみ埋れてはいないだろうか。たまには、迫りくる死を真剣に想い、自分をみつめて人世[生]を省みる心の文化を育み求めなければならないと思うのだが。

 経済成長期を転機に、豊かさとともに多くの人達は檀那寺と繋がりを絶った。その原因の一つに、「葬儀」という滅多に発生しない儀式でしか檀家は檀那寺僧侶と交流しなくなったからではなかろうか。また、寺には大きな建造物を始めとして多くの文化遺産等施設の維持管理に大きなエネルギーが必要である。この際どうしても、寺に門徒の足を運ばせる施策が必要である。住職を始めとする関係者のリーダーシップが重要なときである。


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