お寺・僧侶にのぞむこと  大きい文字で見る

今野泰圓 東京都

 ※この「お寺」は滅罪の菩提寺のこと
 私にとってのお寺は、本来の仏教を学ぶ場であって欲しい。本来の仏教を授け得るには
(一)住職は戒を守り妻帯しない
(二)世襲制を廃止する
(三)須らく仏教に帰依して仏道修行に励む
(四)原則として葬式を執行しない。但し、要請を受ければその限りではない
 当然のことばかりだが、堕落し切ってしまった日本の僧侶には、(一)だけでも実現し得ないであろう。然し、若しこれを実行しなかった[ら]日本から仏教は姿を消すだろう。
 我が国の仏教寺院を三つに分けることができる。
(イ)本来の伝統仏教を護持する(奈良仏教)
(ロ)葬式しかやらない(葬式寺)
(ハ)新興仏教のうち仏教系(日蓮系が多い)
 徳川初期において、寺請制度が施行されて以来、(イ)と(ロ)は両々相俟って仏教を維持して来たけれども、この一方が無くなれば、他の一方もやがて消滅するであろう。
 仏教は人類の至宝である。絶対に我が国土から絶やしてはならない。
 私は一つの提案がある。現在の葬式寺は、仏教寺院であることを断念して、葬式専門業者になる。然して、新しく仏教修行専門の寺をつくる。その場合、従来の各宗別の教団を御破算にして、仏菩薩ごとの宗派をつくる。例えば地蔵宗、聖天宗、観音宗、弁才宗、不動宗、阿弥陀宗、薬師宗の如く。
 考えてみるに、寺請制度の発足当時の大衆庶民は、仏教々義を知らぬままに、檀那寺を定めざるを得なかった。庶民が仏教を知らぬことにおいては現代も、三百五年前も、余り違わない。然し、仏菩薩の名ならば、殆どの人が知っていよう。ここに親近感が生れる。仏教的味つけは、当事者の力量によればよい。
 中国、韓国、蒙古、セイロン、マレー等々の僧のうち、衣装が一番きらびやかなのはニッポン。中身が一番うすいのもニッポン。並んで撮った写真を見て恥ずかしい思いをしない人(僧)は……。


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