「開かれた」お寺の素晴らしさ  大きい文字で見る

佐々木利正 東京都

 四季の変化を肌で感じられる山里の地、青梅の「聞修院」(田中住職)で私は、「日曜坐禅会」に月一回参加している。日曜日の朝六時から約一時間、滝の音、鳥やカエルの鳴き声、竹林をゆする風音、池のコイのはねる水音等、静かな本堂に座っていると聞こえてくる。
 緊張の中にも適度なリラックスを感じさせてくれる一時でもある。檀家の人よりも、宗派関係なく、市外や都外から、時には外国の人も参加している。坐禅に参加する理由は、寺社巡りで知ったり、友人の紹介等から又、職種、年令の異なる人が、毎回三十名程集まってくる。特に御夫婦連れでの参加者が多く、田中住職が平素から言っている事ですが、「あまり形式ばらない気楽さの中の坐禅」という考え方に共鳴しての参加者が多い。
 坐禅後、熱々の「朝ガユ」は、身体の芯まで暖めてくれ住職の気持ちが感じられます。そしてお菓子を食べながらの茶話会。社会、政治、スポーツと世の中の出来事や、時には仏教の話にと話題はつきない。その間、尺八の練習をする人、花を花器にさす人、指圧をする人と各自、自由に好きな事をして、二・三時間楽しい時を過ごす。
 「聞修院」にはもう一つ「イベント」がある。
 本堂や時には庭を利用しての「コンサート」(音楽・踊り・語り)や、芸術家や多趣味を持つ人が多い参禅者も出品しての「芸術祭」(陶器・書・絵画・植木)は、各自の自己流の場として、お寺を広く一般の人に解放している企画でもある。
 お寺は檀家さんの諸行事だけに止まらず、宗派関係なく、より多くの人に、有効に使って欲しいという田中住職の考え方が、広く多くの人に支持されているからこその企画でもある。
 昨今、社会の変化で中高年の自殺者や、高齢者の、問題が大きく取り上げられている。
 今こそいやしの時間や場所を求めている人が多くなってきている。
 一人お寺にきて、静かにたたずむお地蔵さんや、本堂の仏像を見ていると、遠い過去に自然と引き戻され、心安らかになってきます。
 時々近くのお寺に寄り、気分転換して、考え直すきっかけになるのではないかと思う。
 防犯上の問題かもしれませんが、門を閉めているお寺が多い。住職さんも一般市民の中に入り、お寺の場所の提供とか講演会とかを通し、新しい「寺小屋」としての寺の活用法を考えても良い時期にきていると思う。


戻る