心清らかなお坊さんを希望  大きい文字で見る

佐藤和子 新潟県 

 私の実家は前寺でした。ある時本坊が土地を売ってしまい、それと同様、前寺も売ってしまわれ、檀家である私の家には月経があった最後の日に、県外へ、月末には引越との事、突然の話にただ只驚くばかり。お寺が無くなるとは考えてもいませんでした。今後の月経を誰に頼んだものかと困りました。毎日暗い気分で過ごしました。特別信心がふかいのではありませんが、やはり気がおもかった! さいわい母の友人宅へ来られる方が回ってくださる様になり安心。引越した跡には卒塔婆がちらかっていたとの話です。
 元来、保育園やその後、そこでのモダンバレエの稽古場がお寺だった事で、大きな仏像は怖くても、あのつるつるに光った大きな柱のまわりをグルグルまわったり、黒びかりのする階段や廊下、静まり返ったヒンヤリ感覚が今思い起こせば懐かしい気持ちにさせてくれます。そんな私の心を変えてしまったものが、この一件!
 引越はひと月位ではなかなか出来ないもの。まして、親の代から住み暮らしてきたひとたち。心あれば「檀家の行く先まで」と思うのは虫のいい話なのだろうか? 力を持っている、いわゆる檀家総代さんなどは何の心配もないとおもうけれど。言われた時はどうしていいものか、墓地は郊外にありとりあえず、「檀家寺」として頼み、月経は奥様しか運転しないのでと断られました。今までの方が快く引き受けてくださり、助かっています。檀家となってしばらくたち、息子さんが大学に行かれるにあたり、寄付の手紙が来ました。月づきのお勤めも果たさず、コミニュケーションが生まれるとはおもえません。昔ながらの風習が、このような形として現れたのでしょう。いままでの因習を打破して欲しいとおもいます。お坊様のなかに、「心清らか」な精神を希望してやみません。
 *戒命[名]料(位に価格があるとか)無理に戒名などいらない。しいて「仏の子」となることはないと思います。
 *寄付(去年は¥○○○だったからと同額か、それ以上を要求)寄付なのだから、金額はいくらでもいいはず。感じたままを書いてきましたが、私としては心安らかであれば、仏教だろうがカトリック教であろうが、無信徒で生きようがかまわないと思っています。「心安らか」な気持ちになれる日をと想っているのですが、なかなか。言い忘れましたが、私の家は浄土真宗です。


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