地域に開かれたお寺に望む事
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市川みね子 長野県
お寺とのつながりを考えた時、人が亡くなった時だけがかかわるので今の子供達は、我家の宗教を知らないという。事実、四十四人の娘のクラスで二人しか我家の宗教を知らないという。だから、心のよりどころを求め、安易に新興宗教に心のやすらぎを求めるのだろうか。ミイラ化した親の姿を見て、まだ生きていると思う三十過ぎの息子の姿をテレビで拝見して確かに、親の死を認めたくない自分の姿を見ることができるし、共感はするが、同意はしない。悲しいことだけど、「死」はそこにあるのだから。
子供だった頃、お寺の庭は遊び場だった。近所の友達と本当に良く遊んだ。お葬式の時もお寺の庭で真中に棺桶を置き、左回りに親戚の人々が回り「ジャンボン」、「ジャンボン」と鐘が鳴り紙吹雪の中をゆっくりと葬列が通りすぎる様子を近所の子供らと一緒に大きな切りかぶの上に座って見ていた。お葬式を「オイ、葬式見にいかず(方言…見に行こうの意)」と誘い合い、何故見に行っていたのか不思議なのだが、死は、日常的だった。大方は、近所のおじいちゃん、おばあちゃんだった。時には、若くして亡くなったおじさんやおばさんの時には、いつも雨が降っていて「泣きジャンボン」だと皆んなが悲しんでいるように思えた。潜在的に、死を受け入れる準備は、このように昔は、出来ていたのだろう。
宗教施設、すなわちお寺が地域にあるのに、何故交流がお葬式や法事の場所しかありえないのだろう。お葬式になると、本家だ、寺総代だという古い考えの方々が、「こうあるべき」と取り仕切るけれど、何かが違う気がする。今、我ら、四十代の人々は法名やお墓さえ必要ないと考える人々が増えているのは、否めないものがある。
正座すら、満足にできないし、仕事があり、昔のようにゆっくりお別れの時すら持つことができない今は、死の時のみお寺とのつながりができるのではあまりに悲しいと思う。
春先に亡くなったおじの一年忌に和尚様が話してくれた「山鳥の声聞くたびに父かと思う、母かと思う」に、いつもおじがそばに居るのだと心がなごんだ。そんな説話を死とは別に話してもらえ、自由に参加できるイベントみたいな場所を開催してもらえたらと思う。
我家の宗教は「○○○」ですと答えられる未来の子供らを育て、理解に苦しむような新興宗教に入教させないために、また、法名もお墓もいらないと考える我ら中年を作らないためにも、普段着の近所との語らいを、今、お寺も、また、私達も何をすべきなのか、何ができるのか、お互いに交流を持つ時なのだと思う。