もっと身近に感じられるお寺に
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新妻恒子 福島県
毎朝、線香の香りの中で佛前に手を合わせると真摯な気持になります。位牌に魂がこもっているように思われます。
私はカトリック教の幼稚園で、優しいカナダの老婦人に聞いたお話から、神様がいらっしゃると思っておりました。教会も近かったので日曜日に行ってお話を聞くのが楽しみでした。
昔は亡くなった人ごとに墓石が立っておりましたのを、父が先祖代々の石碑を作り囲いました。末っ子で親が歳とっておりましたから、結婚しても一緒に住み、家で両親を葬送しました。親の墓まいりがしやすいようにとその地続きに墓を作りました。
私共の所では、お寺が三箇所続いてその間に火葬場、その近くには寺が幾つかあります。寺には広い集会室もあります。そこで告別式のみさせてもらえれば信仰する浄土宗の道を迷わないようで悲しみもいやされるかと思います。戴いた戒名を覚えている人は少いと思います。名前のままの方が懐しく想い出も浮かぶでしょう。
近頃は飾り盡くされたような祭壇や、盛沢山の花篭や供物など一時的で空しい事のように思います。外に飾られる紙製の花輪に何の意味があるのでしょう。
僧侶がお経を上げて下さった時には、その内容を子供にも解るように説明していただけたら有難いと思います。浄土宗の開祖法然の真精神はそういうところにあったのではないでしょうか。
新聞にも、亡くなられた方の遺志で、親族のみで葬儀、告別式をすませたと書かれるものが見られるようになりました。私も身内の方に送られて静かに旅立ちたいと思います。資源や環境問題を自分の事に考え合わせて、無駄の無いようにしたいと思います。