納得できない住職の態度  大きい文字で見る

森 恵以子 東京都

 私の母は一人暮らしをしており、今から15年前、61才で急死しました。子供は私一人でしたので、私が葬式をあげました。母には決まったお寺はありませんでしたが、日ごろから日蓮宗を信じ、機会ある毎に、池上の本門寺や身延山にお参りに出かけていましたので、出来れば日蓮宗のお寺にお墓を作りたいと思い、母の住んでいた近くのA寺にお願いをし、寄付をしたりして、母のお墓を作る事を、許してもらいました。
 私としては檀家でもなかったのに、墓を作らせて頂いたA寺に対しては深く感謝し、出来るだけ協力しようと思って、毎年の「お会式」には朝早くから夜遅くまで、毎年必ずお手伝いに出かけました。
 ところが「今回庫裏を建設する事になったので、38万円のお金を出す様に。」との連絡がありました。私としては自分の母のお墓に、現在不況の為に仕事が激減し苦しんでいる主人に「40万近いお金を出して下さい。」とは、とても言えず、それなら檀家を辞めるしかないと思い、住職に電話しました。
 事を荒立てたくなかったので「主人の仕事がうまくゆかないから、もう少ししたら田舎に帰るつもりなので檀家を辞めたい。」と言いました。住職からは墓を撤去するには20万円必要だと言われましたが、20万なら私のへそくりでも何とかなると思い承諾しました。
 しかし、墓を作る為に色々と寄付をしたりした事や、墓石と墓地代に3百万円以上のもお金がかかった事が思い出され、このまま檀家を辞める事がどうしても釈然としないので、翌日、もう一度住職に電話しました。「田舎に帰るつもりでいたのですが、今しぱらくこちらの方で頑張ってみたいと思います。お金は都合がつき次第払いますので、今のところは自分が払えるだけ支払って、お墓は今迄通り置いていただけないでしょうか。」と頼んだところ、住職は突然、大声で怒鳴り出し「それは困る。お金を待つ事は出来ない。待つにしてもせいぜい一ケ月しか待てない。38万円はお墓に対する固定資産税であり、それを払えなければ寺から出ていってもらう。今度の庫裏建設では寺のお金も使うので、これからは、年に二度のお彼岸とお盆、施餓鬼、お会式の時の御布施のほかに、私達の生活費やお寺の掃除や植木の手入れなどの管理費も檀家に月々支払ってもらう。今迄は、寺は勝手に墓を撤去できなかったけれど、現在は2千円払って新聞に載せれば勝手に撤去できるんだ。」と言いました。私は「その場合お骨はどうなるのですか。」と尋ねたところ、住職は「鬼門に入れる。」と言いました。
 私は40万近いお金を出した上に、月々の住職に対する生活費の面倒までとても見る事は出来ないと思いました。また一ケ月を過ぎれば、お墓を持っている事に対して38万円を支払わなければならず、大切な母の遺骨もまるで罪人のように鬼門というようなところに入れられたりしかねず、それなら檀家を辞めたほうが良いと思って20万円払ったのですが、どう考えても納得できません。
 宗教とは、本来人の魂を救う為に存在するものだと思います。その宗教が「お金が出せなければ、この寺から出て行け。」と言うのは本当におかしいと思います。私は今迄お寺に感謝し、自分に出来る事は出来るだけ協力しようと思ってきました。しかし、そうしたこちらの気持ちなどには関係なく、「お金の無い貧乏人は出て行け。」と言うような住職の態度は、どう考えても納得いきません。私は、母が日蓮宗を信じていた様に、自分も日蓮宗を信じてきましたが、これからは、とても信じる気持ちになれません。金がなければ檀家として存続できないなら、どんな立派な教えの宗教も、ただの金儲けにしか過ぎず、カルトと呼ばれる宗教とたいして違わないと思います。
 お金の事しか頭に無い僧侶に、どんなに有り難いお経を読んでもらったとしても、それで人の魂が救われるとは、絶対に思えません。たとえ自分が死んだとしても、お金の事しか頭に無いような僧侶に、お経など決して上げてもらいたくありませんし、我が子や孫の代になって、お寺が「支払え。」と言う、理不尽なお金の事で悩ませたくありません。
 私は宗教に見切りを付け、これからはどんな宗教も信じるつもりはありません。ただ自分としては檀家として出来る限りお寺に協力してきたのに、石で追われるようにお寺を追い出される事には、納得できない気持ちでいっぱいです。
 これからインターネットのホームページに今回の事を掲載し、全国の人達に見てもらうつもりです。そして、宗教や宗派に関係なく、葬式や墓、お寺との開係で悩んでいる人達に、ホームページ上で自分の経験や悩んでいる問題など発表してもらい、その事に対する法律や宗教関係者などの意見やアドバイスなどを広く募集したいと考えています。お寺に対して、檀家が一軒ではなかなか言えない事も、悩みを持つ人達が集まって意見を交換したり、専門家のアドバイスを受けたりする事で、問題解決の道が開ける様にしたいと思っています。

 私はA寺に対して次の事を言いたいと思います。

1.何故この不況の時に、急に庫裏を建設しなければならないのか
 世間が不況で苦しんでいる現在、何故急いで庫裏を建設しなければならないのか分かりません。庫裏が古くて危険だからというなら、古くなっている事は昔から分かっていた事だと思います。どうしても立て直さなければならないのであれば、何年かかけて檀家に無理のないような建設計画を立てるべきではないのでしょうか。それを急に立てる事になったから、「これだけのお金を出せ。」と言い、お金がなければお寺を出て行けと言うのは、絶対におかしいと思います。

2.何故三億円もの巨費がかかるのか
 私達は「庫裏を建設する事になったから、お金を出すように。」とは言われましたが、庫裏の建設に何故三億円ものお金がかかるのか、どのような庫裏を建設するのか、その完成予想図さえ見せてもらっておりません。社会全体が不況で困っている時に、どのような庫裏を作るのかさえ檀家に示さないで、ただお金を出せと言うのはおかしいと思います。またお金を出させる場合でも、檀家の数や一軒あたりが出すお金と集まる金額を明確に表示すべきだと思います。

3.住職が僧侶としてふさわしいかどうか
 僧侶とは修行を積み、私達檀家に対して人間としてどう生きるか教え、また檀家の人達の手本になるような生活態度をとる事によって、人々に尊敬されるのだと思います。そうした僧侶によって供養されたり、教えを受ける事により、死者の霊も癒され、私達の魂も救われるのではないでしょうか。住職は、私達檀家の者達に向かって「そうした努力をしている。」と胸を張って言えるでしょうか。
 又、住職は私に「これからは色々な御布施のほかに、自分達の生活費や諸経費の面倒も、月々檀家に負担してもらう事になる。」と言いましたが、檀家とはそこまでしなければならないのでしょうか。


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