私たちと寺との関係
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森田哲史(37) 大阪府
現在、目本では数多くの宗派が存在し、教祖も誕生しています。
同じ宗派にもかかわらず、それぞれの教えを説いています。
私自身は、どこの宗派にも属さず、ただひたすらお釈迦様の教えに従い、毎日、般若心経を唱えるわけですが、結局のところ、どこの宗派に属しようが、本人しだいと思うのです。
いくら良い教えを、説いてくれる教祖[が]いようと、本人自身が聞く姿勢を持ち、実践しないことには、何の意味がありません。それに寺自体も、本来の寺のあり方が変わってきているのだと思います。
以前は、お寺というものは、人々の心のよりどころであり、気軽に集まってこれる場所であったのです。
寺子屋というのはその典型で、子供がお坊さんに学業のみならず、この世の生き方そのものを、教えてくれるものだったのです。
それがいつからか、それぞれの寺が、檀家の数を増やすことばかりに奔走し、多額のお布施を強要し、立派なお寺を構えることが、本筋のように錯覚しているのです。
そもそも僧侶が、仏教道を精進すれば、自然と信者数も増え、お布施も集まるものです。何か今の仏教は、形ばかり先ばしってしまい、本来の道を、見失ってしまっている気がします。
今こそ、仏教の本来の姿を思い出し、教祖も考えを改め直し、信者自身も他人に左右されない自己を確立し、教えをすべて、うのみにするのではなく、自身で噛み砕き、己のものとする信仰をする必要があるのではないでしょうか。